清瀬市 金山緑地公園を見る-2
2016.11.16
■武蔵野の風と光の風景
池広場の後方には柔らかい武蔵野林の風景が広がるが、公園のテーマ「風と光」は何処に存在するのであろう。園路に従って先に進んでいく。園路は小さな流れに添いながら進み、その源には滝石組が現れる。この滝石組では日本庭園の伝統的な自然石(木曽石)を使用しているが、鈴木らしい好みも出ている。氏は水平線や平坦さを重視したデザインが多く、ここでも天端の平らな石や部分的に平らな面がある「あご石」を使っている。しかしこの様な伝統的な石組と本人とは感性が合わないのか、教科書的で勢いがなく、戸惑いながら作庭しているかのように見えるのが残念だ。
そこから引き返し、池広場の方向に歩き出すと歌声がギターに乗って聴こえてきた。歌い手は川の土手のベンチに座り、木漏れ日をうけ気持ちよさそうにリラックスしている。川からの心地良い風に包まれながら、まわりの落葉樹も緩やかな風に揺れている。どうも私は空間の造形ばかりに気を取られて、公園のテーマの「風と光」を見失っていたようだ。土手を上ってみると眼下に柳瀬川、子ども達が河原に下りて遊んでいる。東京にもまだこんな風景が残っていたのだ。
■鈴木昌道と彫刻の表現
池を巡ると意味を語りかけるような彫刻と出会った。よく見るとどうも「人」の字に見えなくもない。そう言えば入口広場の中央に「地」「鈴木昌道1985年」と銘が入った彫刻があった事を思い出した。そうかこれは「天」「地」「人」を彫刻で表現したものか。確かに公園奧部に先端を丸く穴を開けた彫刻があったがこれが「天」なのであろう。公園の重要な3か所に石彫は設置していたが、それ以外にも石材に切り口を入れてみたり、磨いたり、人の手が入った石が多くの場所に見られた。鈴木はランドスケープデザインと共に彫刻を作りたかったに違いない。ひとつの彫刻だけで完結させず、公園全体で意味を持たせた彫刻群の手法は鈴木が開いたランドスケープと彫刻のあり方の答えだっただろう。
■鈴木昌道と伝統庭園の確執
さて、もう一度入口広場に帰り南方向を見ると大振りな自然石を用いた石組群が見える。近づいて見るが視点場がなく、何を表現しているのかさっぱり解らない。白色系の花崗岩の選択は奧部、焦茶色の木曽石との対比なのだろうか。この石組群は須弥山でもなければ盤境でもなく、まして鶴亀の表現でもない。なぞの石組だが、ここまで考えて私の石組に対する考え方が固定的だった事に気付く。鈴木の石組は単なる石の組み合わせ、つまりコンポジションではないか。現代の抽象芸術の世界を自然石を扱って自由に創作したのではないかと解釈した。石組の水平ラインを強調た鈴木らしさは重森三玲や植治の石組とも違う、誰も試みなかった組み方である。石は所々磨いたり、はつったりして加工し、自然石をそのまま扱う古来の日本庭園に対してアンチテーゼを示している。自然と人工を橋渡しするランドスケープデザインの本質が作庭家の石の扱いによってクリティカルに出ている。この事例は誠に貴重なものである。
■エピローグ
鈴木昌道の本当の気持ちは彫刻家になりたかったのだろう。しかし氏の持つ緻密な論理性、空間の構築性がランドスケープの世界に向かわせたのではないのだろうか。ランドスケープデザインの空間を作り出す構成力は論理から出されるが、彫刻等は感性から生み出される。鈴木はランドスケープアーキテクトの論理と感性を持ち合わせ、作品によってバランス良く表現している。哲学者カントは「直感無き概念は空虚であり、概念無き直感は盲目である」と述べている。けだし名言と言えるが、鈴木はその世界を既に体現していたのである。
金山緑地公園を後にして、近くにある日本社会事業大学の外構を訪ねた。作品は肩の力の抜けたデザインで、建築とのコラボレーションは全くの脱力。それでいてプロポーションは美しい。この大学の作品と比べると公園には空間を大きく支配する建築物が無く、そこから広がるルールも無い。金山緑地公園に作者の「力」の大きさを感じるのは、空間を支配するルールを作り出す力技が必要だったからであろう。鈴木昌道の「力技」を金山緑地公園で堪能した。
ところがすごい偶然が待ち構えていた。帰ろうとすると「戸田さーん」という声。見るとプレイスメディアの吉村さんではないか。吉村さんは鈴木氏の一番弟子で、この公園の設計監理も担当していた。今日は師匠を偲んで4年ぶりに公園を訪れたのだそうだ。二人で思わず記念撮影してしまったが、鈴木昌道に二人は呼ばれて出会った記念すべき日となった。
戸田芳樹