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シェーンブルン宮殿の日本庭園と再会する

2013.07.24

この6月、14年ぶりにウィーン シェーンブルン宮殿の日本庭園を訪れた。ウィーンの空港から市内までの風景は少し変わっていたが、街に入ると全く変化がない。時間がまるで凍結しており14年前と同じ自分になってしまった。日に日に変化する日本や中国の都市との違いはなんなのであろう。

ホテルに荷を置き、ようやく宮殿へ。見慣れた駅で降りると、何度も通った韓国人の経営する寿司屋が健在で、何故かほっとした気分になった。

日本庭園は宮殿の西端、大温室と動物園に挟まれたところに位置している。世界最古の動物園はリニューアルされ多くの子供達で賑わっていた。日本庭園はうっすらとエージングがかかり、ほぼ完全なかたちで私達を迎えてくれた。

この庭園は1912年、シェーンブルン宮廷庭師がイギリスのチェルシーガーデンショーで日本庭園を学んで作ったものだが、第一次世界大戦以降荒れ果てて、地元ではチロルガーデンと呼ばれていた。いくつかの縁が重なりこの歴史的庭園を日本チームで修復することになり、さらに左右に庭園を加えて1999年にオープンした。

中央には大温室の主軸に対応してまっすぐに滝を落とし、池泉を伴った日本庭園があり、それに加えて左側は枯山水庭園、右側は露地を新たに作った。敷地内には垂直に立つ針葉樹の巨木が大きな景色を作り、庭木として手前に松等が用いられており、ほぼ完成時と変化はなかった。細部を見ると瓦系のタイル舗装のエッジ部が冬の寒さのためか欠けているのと、人々を楽しませた「ししおどし」が撤去されたのが残念であった。

心配の種であった竹垣はまだまだ充分に良い状態であった。その要因はウィーンの湿度が低いことや、長持ちする工夫、竹垣に屋根を付け、竹垣の腐りやすい部分に人工竹を使ったことが効果的だったのであろう。この状態であれば、あと10年程持ちそうであるが、いずれ修理が必要な日が来るからその準備もしたいものである。壮大なスケールの宮殿庭園の中に小さいながら密度の高い日本庭園がバロック庭園とは違う輝きを見せており、世界歴史遺産の一員としての役割を充分担っていた。また、宮殿の解説書や園内の案内図も明確に日本庭園について表示されており、作庭に関わった者としては大きな誇りを感じたのも付け加えておきたい。

戸田芳樹

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