台湾における八田與一の功績
2013.05.21
海外で活躍する日本人をテレビで見る機会が多い。現地の人々に慕われながら成果をあげている姿に誇らしさを感じるのは私だけではないだろう。この5月に台湾を訪れ戦前台湾で活動した八田與一氏の命日の式典を偶然知った。八田氏は東京帝国大学土木科を卒業し土木技術者として1910年に台湾に渡り、1920年から10年間かけて台湾南部の嘉南平野(台南市の辺り)の灌漑用の烏山頭ダム(1,000ha)と水路を作り上げた。その結果、平野は大いに潤い八田氏は現地の人々の称賛の的となった。それは氏の技術もさる事ながら、危険な場にも自ら進んで入り、労働環境も改善し、台湾人とも分け隔てなく接した彼の人柄によるものも多く、数々のエピソードが本や漫画で残っている。
1931年に座ったポーズのユニークな銅像がつくられ、戦中戦後の幾多の困難を乗り越えて現在も池を見下ろす丘に設置されている。2011年、馬英九総統の発案で宿舎跡地を復元・整備した「八田與一記念公園」が完成し、市民の憩いの場となった。5月8日の命日には八田氏の生地金沢市からも多くの参加者があり、長男故八田晃夫氏の綾子夫人に挨拶することが出来た。この晃夫氏は愛知県の技師の後に日本造園コンサルタント協会(当時)の支部長もされた造園家で、実に不思議な縁を感じる事ができた。出来る事なら御存命中に色々お話しを聞かせていただきたかった。台湾で感じる親日ぶりは単なる現代の現象ではなく、八田氏のような方の活躍の積み重ねによるものと肝に銘じていたい。
戸田芳樹