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世田谷「すみれば自然庭園」の見学会

2010.12.18

早稲田大学卯月教授のご縁で、埼玉県朝霞市の米軍跡地公園計画の委員をさせて頂いている。
昨年基本計画を策定し、今年は市民と一緒に先進的な他事例を見学することとし、12月18日(日)世田谷区桜ヶ丘公園の「プレーパーク」と桜ヶ丘の「すみれば自然庭園」を体験した。

この地は環八沿いの桜ヶ丘が示す様な高台で、眺めの良い場所にあり、植村傳助氏が住まいとして1935年、6000坪に近い大庭園を完成させたものである。
作庭家はコーネル大学出身の戸野琢磨氏(1891〜1985)で、施主の希望に基づいた広大な雑木の庭園に、モダンなデザインを凝らした池泉を組み込んだ、当時としては非常に斬新な設計であり、現在まで図面が残されている。

この戸野氏は東京農業大学に於いて教鞭をとった時期もあり、丁度私も教わった記憶(残念ながら良く覚えていない)がある。
そして1961年、相続のため2300坪を分譲地として売却し、残りの庭園を小形研三氏に依頼して修復したという。
小形先生とは何度もお目に掛かっており、誠に造園塊は不思議な縁で結ばれているなと、ひしひしと感じた次第である。


当日は東京農大の後輩、山崎裕志氏(プレック研究所)による動植物に対する丁寧な説明を聞き、集会場で、この庭園の管理・運営に携わる「世田谷すみればネット」の大江亮一代表から、発足当時より今に至る様々な話を聞かせて頂いた。
自然庭園と名付けたのはこれからの都市に必要なのは「パブリックパーク」ではなく「コミュニティーガーデン」だとの思いからで、一般に見られるものとは全くスタイルの違う公園を目指したからとのお話し。
また、「すみれば」の名称は、もともと芝生池一面にスミレが咲き誇っているのを庭園のシンボルとして大切に育てていこうという思いから名付けたというお話し。真心のこもった取り組みをお聞きしました。

庭園は15mを超えるマツ、ケヤキ、サクラ等大木の林とその林床、原っぱ、新たに作られた池泉で構成されている。
開園当初3年程、全く手を入れない状態にしたところ、すみれがだんだん消えてしまう状態になった。
そこで、芝生の高さを工夫して刈り込み、さらに林の枝を透かして林床に光を入れることで、すみれや他の草花が復活し始めた。
今では昆虫600種、鳥60種、植物300種、きのこ40種が5000m2の敷地に生息しているそうである。
その上近くの砧公園からオオタカが飛来したり、タヌキが出現したりと、都心の住宅地の真ん中とは思えない程の自然観察が出来るようになった。
近くの東京農大生のグループが定期的にイベントを行うほか、鳥の観察会やクラフトづくり等様々な行事を行っている。

世田谷の人々が協力して自然を保全し、多様性に富んだ空間を創り出し、それを学習し楽しむ体験をしていることを朝霞の市民達も羨ましかったに相違ない。
帰りのバスで、何を語りながら家路についたのであろうか。

戸田芳樹

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